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まっすぐ生きる

女将

寺谷節子さん

美しい山々や清流、そこに息づく文化や産業、そしてそこで暮らす人。
智頭という町の魅力に惹かれる人が多いが、
人の心をつかんでやまない女将がいる。

「駐車場の方から見る山が本当にきれいだなと毎日思っているのよ。ずっと軒下まで雪があったからね、この冬は。山の青い色が変わってきたね、山が息をし始めた」

まっすぐな目の、寺谷節子さん。
山菜料理を振る舞う「みたき園」を切り盛りして25年になる。

「ここを任されるようになってからは、もうとにかく精一杯。お客様に喜んでいただくにはどうしたらいいか、それだけ考えてきました」

この人に会うといつも元気をもらうのは、僕だけではないだろう。
小柄な体のどこからそんな力が溢れてくるのか。
いつも背筋が伸び、優しく包まれるような気持ちになる。

兵庫県姫路市出身。智頭に来たのは、大学を出た後で社会人になってまもなくだった。
お見合いで、のちに智頭町長となる寺谷誠一郎さんと出会った。

「誰かお嫁にもらってくれたらいいなぁと思っていた頃だったなぁ。結婚して智頭に来てみてびっくり。寺谷はもともと芦津で事業をしていた家だったから、集落全部が大家族みたいなもので、人がいつも家に出たり入ったり。私は智頭の言葉もわからないし、もう大変でしたよ」

にぎやかで慌ただしい毎日は、驚きと発見の連続。
カルチャーショックを受けながらも、心をつかまれたのが、芦津の人の生き方だったという。

「とにかく芦津の人がやっていることはなんてすごいんだろうと思ったの。暮らしに関わること全て、山のこと、川のこと、なんでも知っていたし、物がなくてもなんでも工夫してやってしまうのよ。心がしなやかで明るく、折れてしまわない。そんな人ばかりでした」

生き生きとして、嬉しそうに話す節子さん。
芦津に対する想いが溢れていた。

芦津の冬は雪深い。みたき園も12月から3月まで冬季休業となり、再開する4月は春の恵みを楽しみに来店する人が多い。僕らが座った大きなテーブルの上に次々に運ばれてくる料理の品々。切り株にのったのはノビル、野カンゾウ、野ゼリ、ウドナといった春の摘み草。これをしゃぶしゃぶでいただくのが絶品だ。

「この時期の2週間くらいしか食べられないのよ。やっぱり季節のものはその時だけのもの。ここの味は、芦津で生まれ育った人たちが教えてくれた味。出汁から化学調味料も使わないように、こだわりを持ってやってきた。きちんとしたことをしたいだけなのよ」

みたき園の味には、この地に生きてきた人々の知恵が詰まっている。胡麻は炒るところから作り、豆腐は毎朝手絞りをして作る。タケノコの季節になれば鍬を持って山へ入り、美しく色づいた茶の葉を摘み取り、冬の間には数年先を見据えて味噌を仕込む。

手のかかることを、食べてもらう人の喜ぶ顔を思いながらする。
言葉にするのは簡単でも、実際にやるのは簡単ではなく、それは料理に限らない。

冬仕事のある日には一年使って煤で汚れた障子をみんなで張り替え、別の日には全ての座布団の糊付けをしていた。「お客様が座られた時に、硬すぎるのもよくないし、どのくらいの塩梅がいいだろうと思ってやるんです」。従業員の人が近くの山から花や草木を詰んできては季節ごとに店に花を生け、毎朝開店前には広い敷地をきれいに掃いている。

美しい自然や美味しい料理があるだけではない。
心地よい空気は、見えないところで作られている。

数年前から娘・亜希子さんが若女将として働き始めた。
50年続けてきたお店を自分の代で閉じようと思っていたところ、亜希子さんがお店を継がせてほしいと申し出たという。

「もうあなたは自分のことを考えたらいいってずっと反対したの。私は、いい母親でもなかったの。お店をどう守っていくかばかりで、亜希子の気持ちを組んであげられなかったからね…」

寂しい思いをさせたという自責の念と、店を引っ張っていく厳しさを知るからこそ、1年間も首を縦に振ることができなかったが、娘の熱意に最後は折れた。「強いね、亜希子は」と笑う母の隣で、笑う亜希子さん。

「小さかった頃は、私は絶対母のようにならないと思っていたのに、みたき園にあるものをなくしていいのかなと思うようになった。結局、母と同じことしているけど、こんなにも楽しいなんて思ってもみなかったなぁ」

同じ立場になって、女将としての母を知った。

「私たちはこれでよし!と思っても、『それじゃダメ。もっとお客様を喜ばれることをして』と言われるし、道具をポンと放る若い人がいると『道具を大事にしないといい仕事はできない』と怒られる。そんなのわかってる!と思うけど、後から形だけやっていたなぁと気づくんです。挨拶や返事にもすごく厳しい。人と人が一緒にいる上でとても大事な潤滑油だ、と言って。伝え方は厳しいけど、でも、本当にそうなんです。あの人は、全部に対して、とにかくすごく真剣。子ども心に母にもっと話を聞いて欲しかったけど、これだけ店に心血を注いでいたらそりゃ無理だよなぁと今は思えます」

「母もここで自分を見つけたのだろうと思うんです。昔はよく泣いていたのに、ここで強くなったんでしょうね。人間ってやろうと思えばなんだってできると母は証明した。道をそれそうになっても、今の私がいるのは、あの人のまっすぐな生き方、まっすぐな目線とか、それがあったような気がする。私にはそれが大きかったんです」

子は親の背中を見て育つというが、
亜希子さんは今、その大きな背中を追いかけている。

冬支度にお邪魔した日。温かな日差しの中、みんなで昼食を囲んだ。
カレーライスに、智頭の漬物があって、にぎやかな輪だったのを覚えている。

みたき園で働く人たちは、地元で暮らしてきた高齢の人もいれば、ここの暮らしや働き方が気に入って移住してきた人まで、幅広い人たちがいる。
単に仕事でつながっているというよりは、大きな屋根の下で暮らすように、
それぞれの人生が集まっている場所のように感じる。

「みんなせっかくここで出会って縁があるんだもの。人間って精一杯生きたら悔いなんてないでしょう。それぞれの人生で、体を使って、心を使って、精一杯のことをやっていると、あぁ生きていてよかったって感じられたらいいわよね」


「みたき園にあるのは、芦津で受け継がれてきた暮らしそのもの。私はお嫁に来てからずっと芦津の人に憧れ、習いたいと思ってきたの。お餅を一つ揉むにしても、布団のしまい方一つでも。ずっと手元を見たりしてね。元気の源はみたき園が育ててくれたものかもしれない。私は仕事に育ててもらって、お客様に育ててもらってきたの。だから、お客様に喜んでいただくことをいつも考えているの」

お客様に対しても、仲間に対しても、そして自分自身に対しても。
どこまでもまっすぐな人の、まっすぐな目だ。

text & photo:藤田 和俊