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植物の糸に導かれて
染織家
荒井よし子さん
「やっぱり板井原が好きなんですよね。知らないことを当たり前にやっている人がいたり、私にとってはそれが新鮮だったし、
少しでも吸収できたらいいなって。ここじゃなかったら住んでなかったかもしれないですね」
この町で僕はたくさんの人と出会ったのだけど、そのうちの一人に、東京からやってきた荒井よし子さんがいる。
5年前、麻を使った機織りをしようと移住したころ、取材をさせてもらったことがある。
生まれ育った故郷にいる者も、新たな土地に根を張る者も。
皆、そこにいる理由は千差万別あるのだろうし、それが混ざり合って一つの町を作っている。
そんなことを考えていたら、ふと荒井さんのことが頭をよぎった。
町の中心地から4kmほど細い林道を登ると、田舎の原風景とも言える集落が見えてくる。
かつて林業や農業、農閑期は炭焼きや養蚕をする生活があり、数人しか今では考えられないことだが、昔は200〜300人が生活していたという。
時代の流れで産業も衰退し、集落を出ていく人が増加。その一方で、時の流れが止まったような静寂が残った。
ここに、荒井さんの工房「草縁」がある。
機織りと出会ったのは20年前。
旅先のメキシコで、ホームステイ先のお母さんが庭に杭を打って、腰に巻きつける原子機をする姿に興味を持った。
「面白そうだから、私にもやらせてよって言って。やってみたら機織りって面白いかもって思ったんです」
帰国後、専門学校の夜学や機織り教室で基礎を学んだ後、福島県昭和村が募っていた機織りの後継者育成制度に応募。
そこで原料となる苧麻(チョマ)という植物から育て、糸づくりから仕上げていく機織りに出会う。
「ものすごい大変な作業だけど、だからこそ出来上がった時の喜びが大きい」
その感動が、彼女を気が遠くなるような仕事に向かわせる。
板井原はかつて村のあちこちに麻を育てて、その繊維で織物をしていた集落でもある。初めて訪れた時の驚きを鮮明に覚えている。
「移住ってネガティブなイメージもないわけじゃなかったんです。『こんなことをしています』って言っても理解してもらえないんじゃないかって。
そしたら、おじいちゃんたちが『これはこうするんだろう?』とか『麻の実はうまいで』とか、麻があった文化を感じました」
ここならやりたいことができる、そう直感が働くのに時間はかからなかった。
植物の糸を紡ぐように、ご縁は繋がっていく。
「近くにね、すごいおばあちゃんがいるんですよ」
荒井さんが嬉々とした表情で紹介してくれたのが原田伸子さん。
板井原で育った夫の巌さんと、ここで農作業や飲食店をされている(店は近々閉められる予定)。
荒井さんに連れられ、伸子さんが機織りをされるという日にお邪魔させてもらった。
カランカランー。慣れた手つきで糸車を回す。
「母がやるのを見て、まねごとでやってみては『またつついて』と叱られてね。戦争なんかもあってやれなかったんだけど、
ずっと機織りがやりたかったんです。たいしたものはできんけど、マフラーを作ったりね」と伸子さん。
長年、叶わなかった機織りへの思いがあったところ、荒井さんと出会った。
養蚕小屋に眠っていた巌さんの母が使っていた機織り機を夫婦で引っ張り出し、糸を紡ぐ糸車も巌さんが器用に修繕。
80代で機織りに挑戦した。
「伸子さんと会って、昔の記憶って大事なんだな、やりたい気持ちって大事なんだなって思いましたね。私も見習いたいなって。
あと、ここは水が本当に良い。刈り取った後の茎を水につけておくんですけど、大抵その日のうちに繊維を取ってしまわないといけないけど、
ここの水は2日くらいはもっちゃうんです。りんちゃん、ももちゃん(愛猫)も毛艶が良くなったし、環境が本当に良いんだなと思う」
静かなこと。水がいいこと。残るものが残っていること。人と繋がること。
ここにいる理由としては、十分だ。
text & photo:藤田 和俊