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自分らしく在ること
ヨガインストラクター
小池陽子さん
同い年ということもあって、話しやすかったのかもしれない。
「いつかこんなことがしたいんだよね」という会話をしたのが数年前。
今、彼女はヨガを中心に心と体を整えるスタジオを作り、僕はこうしてノートにペンを走らせている。
新たな挑戦には、その人が乗り越えてきたものを知り、だからこそ聞いて勇気をもらえることが多い。
その名の通り、周りをパッと明るくする彼女の場合もそうだった。
「ドリームマップって知ってる?」
なりたい自分の姿や夢を紙に描いて〝見える化〟するものだという。8年前に描いたというそれは、びっしりと言葉や写真で埋められていた。
『自然が好き』『ウクレレを弾いている』『心と体を癒す人である』…。一つ一つが、彼女が心から「こうありたい」と願った未来だった。
「これって自己肯定感が高くないと描けないから、最初は全然描けなくて…。
自分を見つめるたびに、蛇口をひねられたように涙が止まらなかったんだよね」。
笑顔は崩さない。少しずつ、糸が絡んだ過去を話してくれた。
尼崎出身。厳しい家で育った。
「日本人だから、女性だから、お姉ちゃんだからって『こうしなければいけない』という環境で育ったから、
小池陽子じゃなくて世間の目を気にして生きていた。でも『本当の自分は違う』って心の中で叫んでいた」
話すことは苦手で、得意なことは体を動かすこと。大学も体育科でダンスをしたかったが、親に反対されて短大の英語科に進んだ。
やりたいことを選べない自分。私は何をやりたいんだろうー。何度も問い、答えを探した。
〝誰かが敷いた〟レールを外れたのは短大卒業時。親の反対を押し切って、決まっていた内定を辞退した。
バイトをしながらフリーター生活を2年半続け、フィットネスジムに就職。そこでホットヨガスタジオを新設するために学び出したのがヨガだった。
その後を左右する出会いは「しぶしぶ」だったというから、人生は面白いのかもしれない。どこに、何が落ちているかわからない。
離婚も経験した。
「結婚したら家を出られると思ったけど、親と同じような価値観を愛情だと勘違いしていたから、結婚生活にも苦しんだ」
ストレスから左半身が麻痺。薬も効かない。毎日追い込まれるように生きていたころ、18歳のころに出会ったハワイを訪れた。
豊かな森の中で、人は温かく、互いに助け合い、自分をしっかり持って生きていた。
「そこで見たものが〝見え方〟を変えてくれた。これまで自分は形にこだわっていたんだなぁとか、
うまくいかないことも、自分ではなく、親や結婚生活のせいにしていたかもしれないと気づいた」
そう、受け入れられた。
智頭町に移住したのは、ハワイで転機を迎えた直後の4年前。
それまでも前職のフィットネスクラブで、親子の自然体験ツアーで年1回は訪れていたという。
「初めて行ったとき、新田集落でオニギリと山菜の手料理を食べたんです。
真っ白なオニギリがあまりに美味しすぎて、5、6個をあっという間に食べちゃった」
豊かな自然、食の豊かさ、のどかな時間、そして人の温かさ。ハワイに近いものを感じ、この町に惹かれた。
地域おこし協力隊として模索しながらの3年間。理想と現実の狭間は苦しくないと言ったら嘘になるが、最後は人に支えられた。
「このスタジオを作るのもみんなが協力してくれて、近所のおっちゃんやおばちゃんも気さくに遊びにきてくれる。
本当に助けてもらって感謝しかない。地元の関西でスタジオをやることもできたかもしれないけど、でもこの町だった。
ここは自分の人生を生きている人が多くて、綺麗なところもそうじゃないところも当然あるんだけど、全ては一つ。
そういうのをひっくるめて、やっぱり智頭が好きなんだなぁ」
古民家を改修して作ったスタジオは、ヨガやダンスで体を鍛え、ドリームマップを作成して内面も見つめる場。
好きで通ったハワイの言葉で「体、自己」を表す「kino」に、伸び伸びするという意味を合わせて「キノビ」と名付けた。
「自分が助けられた智頭の町や、智頭の人に恩返しできたらいいなぁ。
その人がその人らしく、心も体も伸び伸びと生きられる。そんなサポートをしたい」
そう、願いを込めて。
text & photo:藤田 和俊