people
file.09
豆腐も人生も、適当に。
豆腐屋
草刈正之さん
「適当、適当」。
そう何度答えをはぐらかされただろうか。豆腐づくりのコツや、人生訓に迫ろうとする度、いたずらに笑うその顔の奥底が知りたくなった。
だが、そこは相手との駆け引きでもあり、どう引き出していこうかと、こちらも必死。
「面白い豆腐屋のおじさんがいる」と紹介された草刈さんは、なかなかの〝難敵〟だ。
いろんな取材を断っていると聞いていたし、難しいのは予想していた。
「俺はいい、何も残したくないから」「話なんか聞いてもおもしろくないよ」と、暖簾に腕押し状態。ぶっきらぼうに、何度も追い返されそうになる。
「今度来たらと思ってバケツに水入れて待っていたのに」と言われたこともある。
だけど、僕にはわかる。この人は優しい。だから喰い下がった。
(本当に迷惑だったらごめんなさい…)
「ちづとうふ なかや」の歴史は長く、祖母が昭和初期に始めた。
聞けば、草刈さんが20代半ばの頃は、八頭郡内だけで60軒以上、智頭町内だけで7軒の豆腐屋があったとか。
「昔はな、豆腐や油揚げは葬式や祭りで重宝されていて、豆腐屋をやっていれば食いっぱぐれなかった。あ、聞き出したなぁ…」
すかさずノートを引っ張り出す僕と目が合う。
「ちょっとだけ、メモだけ」とか訳のわからない言い訳で返しながら、相手の〝温度〟が変わるのもわかるから、続ける。
豆腐屋を継ぐのは想定外の未来だったのかもしれない。東京で2年間サラリーマンをして「しょうがなく」帰ってきた。
「子どもの頃から見ていたからパッとできるわけ。歌舞伎の子が台詞の覚えがいいとか、間の取り方がいいとかいう言うでしょ。それと同じようなもの」
豆腐づくりは、自然と体に染み付いていた。
その豆腐が実にうまいのだ。
国産大豆にこだわり、20年前からはさらに県産物に絞った。水は智頭の山が生んだ水を井戸から汲み上げて使う。
「にがり」は大豆の風味を生かし、「木綿」はあっさりと大豆の味も残し、「おぼろ」は食感を柔らかく。
「おぼろはにがりを入れる量をいろいろ変えたり、場所によって濃さを変えるんだよ。四季での水温の違いや大豆の具合があるからね。
にがりを合わせた時に『あっ』とわかる。ま、長年の勘というか、気まぐれ。適当、適当」と、常套句で笑う。
「面白い豆腐屋のおじさん」は、仕事以外の顔を持つ。
21歳から習い始めた日本舞踊の花柳流では27歳の若さで名取になり、地元の智頭農林高校で長年にわたって麒麟獅子舞の指導もしている。
「豆腐作っていたら友達と時間が合わないもん。結局、暇なのよ。うちのおばあさんにやってみたらと言われて始めた」
午前3時に起き、午後8時半には寝る豆腐屋の生活。気分転換で始めた踊りに虜になった。
「踊りはね、いろんな女や男になれたり、役柄になれるから面白い。でもな、人の芸にも性格が出るのよ。女形させたら色っぽいよ、俺は」
と、手振りを少し披露してくれた。
「やっぱりね、こだわりはある」
根は真面目な人で、豆腐に、踊りに向き合ってきた。自分が良い、美しいと思うものに真っ直ぐに。
いろんな話をしてくれた中で、一段と気持ちがこもって聞こえた話が亡くなった「ミーちゃん」のこと。
ミーちゃんは、草刈さんが41歳の時に拾った捨て猫で、20年は寄り添った家族。今もテレビで猫を見ると涙が出てくるほどだ。
「最初は『このクソ猫!』くらいに思っていたんだけど、だんだんものの見方が変わってきてね。
毛はどうしたって抜けるし、言うことは聞かないし。だからこっちがあいつに合わせるしかないと思ったね。
そこからいろいろ変わったかもしれないね。
前はね、周りの景色も見えないし、人も傷つけたかもしれない。『人生まっしぐら』だった。
でも、ここ10年くらいかな、『人生、適当』になったのは」
ちょっと真面目に話をした後は、決まって照れたようにこうだ。
「今までの話は全部ウソ。適当、適当」
text & photo:藤田 和俊