people
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山で見つけた生きる力
ようちえんスタッフ
熊谷京子さん
小さな体に背負われたリュックが揺れるたび、付けられた熊鈴が鳴る。
シャン、シャン。シャン、シャン。
リズムを刻み、時折、止まる。
「このミツマタってね、お札の原料になるんだよー」
「知ってる!おばあちゃん家にもこの花咲いてるよ」
道すがら咲く植物を見つけては、スタッフと子どもたちがそんなやり取りをする。
そして、熊鈴の音色はまた進む。
子どもたちは林道を歩いたり、時には道なき道をよじ登る。
大きな子はすたすたと、小さな子はゆっくりと進む。
その小さな背中を、熊谷京子さんらスタッフは温かく見守る。
智頭町で活動する、森のようちえんの日常だ。
森のようちえんは、北欧で始まった幼児の野外教育の一環。
子どもたちは園舎のない森で、暑い日も雨の日も雪の日も1日を過ごし、自然の中で自由な感性や自分で考える力が育まれる。
智頭でも10年前に開園。当時、熊谷さんは鳥取市内の百貨店に勤めながら3兄弟を育てていたが、悩みや迷いを抱え毎日悶々としていたという。
そんなとき、のちに森のようちえんを主宰する西村早栄子さんと出会った。
「保育園でパワーを発揮しきれないうちのやんちゃな子たちも、家ではおばあさんに連れて行ってもらう山や畑では生き生きする。
農作業の手伝いもよくするし、野菜はなんでも食べる。その姿を見てこういう風に育つのがいいなと思っていたところに、
早栄ちゃんが森で子育てをしようと言い出したんです」
4家庭の母親が中心となり、森のようちえん「まるたんぼう」が誕生した。
熊谷さんは保育士の資格も持っていなかったがお手伝い役として協力しながら三男を2年間通わせ、濃密な日々が価値観を変えた。
園では「危ない、汚い、だめ、早く」は禁句。
その日に行くフィールドも、その日の過ごし方も子どもたちが主体的に決める。
その子育てが、実は親も育てる。
「子どもは子どもで成長したんですけど、親である自分自身も育ててもらったと感じました。
一人の人間として、生きることの大切さや楽しさに気づけた。
子育てを通じてそれが味わえるのはすごいことで、今もそれをいろんな人と共有したいんですよね」
その子育ては多くの関心を呼び、県外から移住者する人も増加。
現在、西村さんらは「まるたんぼう」と「すぎぼっくり」の2園を運営し、熊谷さんは後者を担当している。
その保育で熊谷さんが大事にしてきたことが、智頭の風習に触れること。
それは鳥取市出身の自身が、智頭に来て感じたことだった。
「嫁いだ家は一町以上の田んぼと畑を持ち、ドウダンツツジやタマノカンザシの花の栽培も行う農家だった。
農作業の他にも、餅、おこわ、特産品の柿の葉寿司、味噌、梅干し、粽作り…。なんでも手伝わされて大変だった(笑)。
でも、昔ながらの生活に息づいた手作業を伝えていくことは大切なことだと歳をとるごとに思えるようになり、
子どもたちにもその経験をさせたくて保育にも必ず取り入れてきました」
智頭の自然と、受け継がれてきた営み。
その中で、のびのびと育つ子どもたちの姿に、いつも胸を打たれる。
10年経っても、涙を流して一緒に歩く日もある。
「幼少期に厳しく育てられたせいか、肯定感も低く、自分にはなかなか自信が持てないんですよ。だから森では感動と刺激の連続です。
例えば、ふうちゃんというダウン症の子がいて、入園した頃には無表情で一歩も歩かなかったのにいつからか変わった。
他の子は険しい山を登っていったところ、登りやすい道を探して一人で黙々と登りきったんです。生きているってすごいですよ、ほんと」
森のようちえんでは見守る保育が基本だが、必要だと思う時は迷わず声をかけると決めている。
「幼児期は心が満たされ愛されることが大切。そうすることで自信をつけてくれることにつながると思うので、
できるだけ子どもの気持ちに寄り添おうと思っています」
母のような優しい顔で教えてくれた。
取材日は時折雪が舞い、春というには寒すぎる日だった。
山道をすたすたと歩く子どもたちに驚かされていると、熊谷さんは時折後方を気にしていた。
目的地に着いて先に遊ぶ子どもたちに遅れ、ふうちゃんがようやく到着。
寒さのせいかどうも元気がない。みんなの輪から少し離れ、しゃがみこむ。
熊谷さんはそっと近づき、笑顔で抱きしめた。
text & photo:藤田 和俊