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地に足をつけ、等身大に

庭師

井手口啓二さん

「俺はロックスターなんだと、気取っていたんですよね」。

庭師の井手口さんはどうも目立つ人なのだ。
少し前まで腰までかかる長髪に、髭をたくわえたちょっと強面な顔。
町のイベントではギターをぶら下げて歩き、仕事では軽妙な話でお客さんを楽しませる。
カメラを向けるとすぐにポーズや表情を決めたり、いつも明るく周りを楽しませてくれるのだが、
そのキャラクターのせいか、本当の彼が掴めないところもあった。

それがこの頃、変わった気がしていて、どうやらそれは短く刈った髪の話だけでもないようだ。
「実はこの秋に親父から代替わりして4代目になったんです。そうしたら見る世界が全然変わって、仕事に向かう姿勢や気持ちが違う。
良い感じでプレッシャーがぐっと背中を押してくれています」。
表情も言葉も、以前と違うわけだ。

広々とした立派な庭園には、池の上に足場や高い脚立がかかっていた。
智頭町の観光名所の一つで、国指定重要文化財である石谷家住宅の庭園。井手口造園が代々引き継いできた仕事場だ。
江戸時代の大庄屋に始まり、その後は林業で財を成しただけあって、3千坪の敷地面積を誇る豪邸は庭も国登録記念物に指定されている。
秋の庭園公開に向け、忙しく木々の剪定をしているところだった。

「保育園の卒園のときに、継ぐとおじいさんに約束したらすごく喜んでくれたのを今も覚えていますからね」。
継ぐことも当たり前だと思っていたが、思春期になるとそれが敷かれたレールのようにも感じた。
その葛藤や反発が、彼を音楽に没頭させた。中学、高校とギターの腕を磨き、大学時代には福岡県でアマチュアながら活躍。
「家業のことは引っかかりながらも、真剣に将来のことを考えることから逃げようとしていたところもあったのかもしれませんね」と振り返る。

大学3年の頃、父が倒れたのをきっかけに智頭に戻った。
父のもとで庭師の見習いを始めたが、都会から帰った若者はそれだけでは自分を持て余した。
昼の仕事とは別に、夜は鳥取市内の飲食店で働くようになると、昼夜の仕事に加えて、バンド活動や仲間との酒盛り。
それはそれでやりたいことをやる楽しい生活ではあったが、現実は睡眠不足で庭仕事には遅刻。
「やめてしまえ」と父に怒鳴られる日々だった、と自嘲する。

井手口さんにとって、30代中盤は大きな転機だった。
二人の息子を持つ父になり、家業の世代交代。昨年は幼馴染の死を経験した。
何者かになろうとしていた自分に気づき、身近にあるものに目を向けた。
そこにあるもの、そこにいる人に対して、自分は胸を張って生きられているかー。
もう虚勢を張って生きるのをやめた。

「バカみたいに酒を飲んで、俺は有名なスターになるんだって。
本来やるべきこともやらず、見るべきものも見ずに、投げやりな生き方をしてきた自分に気づいたんです。
庭師としてのお客さんも、バンドのファンも、気づいたらもうそろっていました。
何かをコツコツしていくことでしか、周りにいる人たちに応えていけないなって。
有名になりたいとか、自分を大きく見せたいとか、気取っている場合じゃない」

今、庭師の仕事が楽しいという。
「どこまで手を入れるかの加減が重要で、今年は雪がよく降りそうだという話なので、
見栄えを残しつつ雪の対策もしないといけない。いかに気持ちを込めて美しくできるかをいつも考えています」。
パチン、パチンと聞こえてくるハサミの音は、実に小気味良かった。

代々継がれてきたことも、少しずつ実感している。
「庭は、造るのが2割、管理していくのが8割。いかに続けてきたことを守っていき、20年、30年先を考えながら手を入れていくかで、
そのためにはやはり基本が大事です。教えられたものを自分のものにしていくしかありません」。
剪定技術だけでなく、植栽のこと、住宅の造りと庭のつながりなど、幅広い視点で見られるように、さらに知識を広げていこうと勉強中。
「経験値も違うし、追いつけないかもしれないですね」。
視線の先には、3代目の大きな背中がある。

「石谷家みたいな日本庭園を設計・施工する仕事はなかなかないと思います。でも、いざあった時に、胸を張れる庭が造れるようになっておきたい。
そのためにも、毎日の仕事で携わっている庭に対して精一杯やっていくしかありません」

帰り際に、一本の剪定ハサミを見せてくれた。
「これね、俺が継ぐ時に渡してやってくれと、じいさんが生まれて間もない自分のために買ってくれたハサミらしいんですよ。
こないだ親父から受け取りました。気持ちがこもったものなので、大事にしないといけませんね」。
庭師の顔が誇らしげに見えた。

text & photo:藤田 和俊