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曲げない、自分の信念

木工職人

草刈庄一さん

淡々と、取材は進んでいた。
作業風景も撮らせてもらい、事務所でコーヒーをご馳走になりながら話していたときだった。
「智頭で木工で食っていくのは難しいよ、と言われました。木工職人は給料がいいわけでもなく、辞めたい人ばかり。
工場も潰れ、物も売れない。本当に夢がない仕事のように言われて。そんな風に言われて本当に面白くなかった」
誰だって、自分の好きなものを否定されれば、見返してやりたくなるもの。
普段は感情をあまり表に出さない草刈さんが、あの時は怒っていたように見えた。

薄くスライスした杉の木を曲げ、楕円を描く。蓋を開けると、ご飯の匂いと杉の香りがちょうど交差する。
見た目も味わいがあり、冷めても美味しく感じるお弁当箱って、それだけで嬉しいものだ。
林業が盛んな智頭町ならではの特産品、曲げわっぱ。
「水に使うのはヒノキのイメージがあるけど、ご飯の水分を吸ったり、出したりするのも、杉はちょうどいいんです」
と、静かに、胸を張る。

工房は智頭町の土師という地区に、そう大塚刃物鍛治さんのご近所にある。
曲げわっぱの職人に話を聞きたいと思っていた頃、大塚さんが火起こしに使っていた、楕円の穴が空いた端材が目に止まった。
「あぁ、近くの草刈君がいらないというものをもらってるんだよ」
そこからご縁がつながったのだから、智頭は狭く、人が近い。

大工だった祖父や父の影響を受けた。
「家の傷んでいるところをDIYで直したり、なんだかんだ一番続いた趣味かなぁ」と、自然の流れだった。
製造業などを経て、25歳の時に家具屋に転職して5年ほど家具を作っていたが、
「仕事もマンネリ化しておもしろくなかった。毎日、何かないかなぁと歩いていました」
曲げわっぱと出会ったのは、そんな時だった。
町内に1軒ある本屋の下山書店に、毎号買っていたDIY雑誌を手にとっていると、店主の下山さんに声をかけられた。
「こういうの好きなの?曲げわっぱの体験教室があるんだけど、行ってみない?」
自分の中にモヤモヤしたものを抱えていた矢先の出来事に、会社を休むことにして、体験教室に参加した。

「そういうのって大体習っておしまいじゃないですか。その時は、継続して作ってみようかなと思ったんです」
町内でも昔は芦津(集落)などで作られてはいたが、産業的なものにはなっていなかった。
草刈さんは曲げわっぱに可能性を感じた。いや、半分意地もあったのかもしれない。
「たくさんの人が作ってみることはするけど、誰も曲げわっぱを仕事にして生活できるなんて思わないんです。
よっぽどの変わり者じゃないとやらないみたいでね」と笑った。

月に30〜50個作る程度だったが、観光列車や鳥取市内のギャラリーに置かせてもらうようになり、段々と受注が増えた。
今や年間1500個程度生産するようになり、鳥取市内で働いていた母が仕事を辞めて二人三脚で造っている。
趣味から始まった細い道は、着実に太くなった。

「僕はね、クソがつくほどの出不精なんですよ。本当に智頭から出たくない。仕事で東京に行っても、智頭に帰ってきたら嬉しくてね。
もちろん、智頭も、良い所も、悪い所もあります。でも愛着というか、慣れているからこの町に。だから、ここでものづくりをするのは、
僕にとってはとても好都合なんですよ」

周りは都会に憧れ、この町にない仕事を選んでいくが、草刈さんは育ったこの町で、木工をやると決めた。
「やっぱりね、ここで、夢が持てることをしたいじゃないですか」
その曲げわっぱには、曲げなかった信念が宿る。

text & photo:藤田 和俊