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こだわらないのが、こだわり
商店店主
矢部聡子さん
親しみやすく、肩の力をふっと抜ける。
矢部さんの雰囲気は、この店で育まれたものだろう。
「会社員をしていた頃も、お客さんが来られたら自然に『いらっしゃいませ』が出ちゃう(笑)。周りからは、普通はすぐそんな風にできないよと言われて、そうなのかと思った。昔から癖がついているんでしょうね」
智頭駅近くにある矢部商店。酒や日用品の販売をおこなっていて、コンビニやドラッグストアなど便利なお店が増えた今も、町の人たちの暮らしを支えている。
「なりたいものやこだわりはなく、ここの『どら娘』で居続けただけ(笑)」
そんな飾らない言い方も、矢部さんらしいところだ。
お店を始めたのは祖父母の代。昭和40年代までは金物屋だったそうで、戦後まもない頃は新聞屋もしていたとか。人々の暮らしに必要な店として順応しながら、酒や日用品を扱い始めた。
「鳥取市内の卸屋さんが日用品を一斉にチラシに載せ、それを扱う店として紹介されるんですね。そうしたらその三日間とかはもうすごい人。私が店を手伝うようになった頃は、母は半日くらい配達で家にいないとか、そんな感じでした」
店はとにかく忙しかった。
「夜でも裏口から酒を買いに来る人もいるし、元日は閉めていても半分扉が開いていたら『よかった、開いていて』と入ってくる人もいます。まぁ、お店をやっていたら仕方ないんですよ。朝の7時くらいからでもシャッターを開けて人が入ってきた時間が開店時間でしたね」
仕事と暮らしのあいまいな境界線。思わぬことも起こるだろうが、それを受け入れるしなやかさは自然と身についたのかもしれない。
30歳まで鳥取市内の会社で働き、辞めて実家の商店を手伝い始めた。
「ある時、毎日会社に通うのに疲れたなぁと思ってね。その頃、ちょうど店も忙しくて母も大変そうだったのもあるけど、家にいたら手伝いながら好きに遊べるわ、くらいに思っていました。いい加減でしょう(笑)」
サザンオールスターズが好きでたまにライブに出かけたり、スキーに行ったり。どうしても家業を継ぎたいと意気込んだわけでもなく、仕事もしながら好きなことができることが矢部さんにとって大きかった。
着物も、好きなことの一つ。「昔は学校を出たら何かを習うのが当たり前。下山書店のおばあさんにお茶を習ったり、鳥取市内で着付けを習ったりしました」。その着付けは今も続け、智頭町の旧街道で開かれる大正レトロの雰囲気を楽しむ「ハイカラ市」では、着付けのサービスを任されている。
こだわりがないわけではない。
中学校に上がると、周りには革靴の子がほとんどいない中、足元はリーガルのローファーに決めていた。しかも、タッセルローファーの形にこだわり、鳥取市内の靴屋までわざわざ買いに行ったそうだ。買い物や遊ぶことに便利な都会も好きだったが、生まれ育った智頭を出て暮らしたいとは思わなかった。
「私、面倒くさがりで。受験とかも嫌だし、部屋を片付けて引っ越すことも面倒くさい(笑)。そういう性格もあるけど、あとは小さい頃から智頭の大人の人と交流があって、スキーに連れてってもらったり、バドミントンのサークルがあったり、町の中でも十分楽しかったのもあるのかもしれないなぁ」
店を守りながら、自分が好きなことに正直にいること。
それが、こだわりがないと話す矢部さんの、こだわりなのかもしれない。
「この5年くらいかな。お店も私の代になってきたし、いろいろしてみようかなと思い始めた。だって、人間が凝り固まるじゃないですか。生きているうちに“らしくないこと”もしてみようかなと。前にテレビ取材に答えたのも、こうやっていろいろ自分の話をすることもそう。普段はあまり自分のことは話さない方なんです」
フェイスブックやインスタグラムといったSNSもはじめ、着物やお店のことを日々書き込んでいる。「これで来てくれるお客さんもいるし、若い人に知ってもらえるなんてすごい時代ですよね」。時代や社会に合わせて新しいことに挑戦することも楽しんでいる。
「大したことはなくて、最後はここ(矢部商店)があるからいいか、とやってきただけ。ほんと、私、頑張ってないと思う(笑)藤田さん、これもらったから食べませんか?」
頑張ってない。そんな生き方っていいなと思った。
僕は、たい焼きを頬張った。
text & photo:藤田 和俊