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料理でドラマを起こす

料理人

石田創さん

美味しい料理ができる理由を知りたくなり、レストラン「山のブラン」を訪ねた。
当然、話を聞くだけでは勿体無い。この秋から始めたランチメニューのピザを頂いた。
「これがおすすめですよ。淳子さんの夏トマトを湯むきして、オイル漬けをしたものを使ってるんです。
これだけなんですけど、美味しくないわけがないんですよ」。
シンプルなメニューこそ、ごまかしが効かないもの。食べてみて、その味に思わずうなった。

土師駅近くにある実家横の敷地に、北欧を思わせる木のぬくもりを感じる店を構えて1年が経つ。
温もりを感じながら、どこかピリッとした空気が漂う店にいると、智頭にいて、どこか智頭ではない気さえしてくる。
「本当は、料理と文化を考察するガストロノミーや、独創的な新しい料理のジャンルと言われるイノベーティブなど、
智頭にいながら外国からでもお客様に来てもらえるくらいのことをやりたいんです。
そういうとみんなびっくりするんです。智頭でできるの?って。でも、そういうのをこの智頭でやりたい」。
彼のキャンバスには大きく夢が描かれている。

「僕の人間性を作る上で、一番重要だったのは父。とてつもなく職人気質で、風来坊。俺は人と違っていたい、という人」。
自然が好きだった父は、祖父が亡くなると同時に「やりたいことをやろう」と家業だった農業を辞め、京都で植木屋の修行を積んだ。
そこで、一から十まで全て自分で創り出す姿勢を学び、創さんはそんな父の背中を見て育った。

高校時代にはオーストラリアに留学。20歳の時にスノーボードに夢中になり、プロを目指した。
誰かに言われたわけでもなく、何かと比べるわけでもなく。自分の意思のままに〝レール〟のない人生を歩んできた。
転機は25歳の頃。北海道でけがを負って、スノーボード中心の生活を諦めた。
拠点を大阪に移し、そこで料理の道に出会う。焼き鳥屋のアルバイトから始まり、梅田の野菜レストラン、そしてフランスに武者修行ー。
その感性は、花開いていった。

「料理は僕にとって特別なんです。スノボとか、カメラや動画をやったり、色々したんですけど、
それらは自分が楽しかったり、自己満足でやっているもの。料理は全く違う。そういう次元のものじゃない」。
岡山県のヨガスタジオで料理を提供していたころ、ある日、80代くらいの高齢の男性が家族と来店された時のことだった。

「ベジタリアン向けのサンドイッチを作ったところ、普段は全然ご飯を食べないおじいちゃんが完食したと、娘さんとお孫さんがすごい驚かれて…。
帰り際に、おじいさんが握手を求めてこられたんです。ぐーっと力強く握り、大きな声で『ありがとう』と言われました。
その時、自分の料理が誰かの喜びになるんだと思って、これが俺の仕事なんだと思いました。料理って、そんなドラマが起こるんですよ」

そのドラマは生まれ育った智頭で、新たに始まろうとしている。
野菜は藤原淳子さんを始め「半径5キロ以内」から仕入れ、肉料理の一つには地元で獣害対策として始まったジビエを使ったメニューも考案。
カトラリーセットは地元に生育するヤマザクラの枝を使ったもので、近所の大塚刃物鍛治で自ら加工して作ったものだとか。
できるだけ顔の見える仕事をしたいという。

「うちで使っているもののポテンシャルは本当にすごい。
料理も、店づくりも、この店に入った全ての人が感動でき、そこにドラマが起こる。それが僕の描く山のブランです」

我が道をゆく父が、三男につけた名前が「創」。
その名の通り、ふるさとの山あいで、新たな価値を創り始めている。

text & photo:藤田 和俊