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実感を持つこと
馬耕農家
岩田和明さん
慎重に、慎重に。
そう気をつけていても、突然、足は膝上まで埋まってしまう。
身軽に飛び跳ねたであろう野ウサギの足跡を横目に、日頃の運動不足を恨みながらもがいて進んだ。
前方には、とっくに進んで待ちくたびれた子どもたちが、雪玉を作っては競って投げて遊んでいる。
「体が軽いと雪に沈まないですからね。いや、それにしても思ったよりすごい雪。
かんじき、貸しましょうか?智頭の人にいただいたんですよ」
後ろからついてきてくれていた岩田さんが助け舟を出してくれた。
ひんやりとした空気と、長靴の中に入り込んだ雪の冷たさ。
静かな冬の森を歩きながら得た感覚が、どこか久しぶりな気がした。
岩田さんは4年前に山梨県から移住。
現在は奥さんの絵里子さんと子ども5人の家族7人で暮らしながら、
馬で田畑を耕す農業(馬耕)や森づくりをしている。
初めて訪れたのは、田植えの頃。出迎えてくれた岩田さんは早速、馬小屋を見せてくれた。
2頭は在来馬の道産子で、茶色い毛の耕太郎(11歳)と白毛の福之助(6歳)。
同じように馬耕をしている馬たちと比べると半分くらいのサイズだそうだが、豪快に草を食べる姿は迫力十分だった。
「とにかくよく食べます。うちは自給100%のエサだし、野草も食べる。
それがまた消化がいいからすぐにお腹が減ってしまって(笑)。だから、朝からしっかり食べさせとかないといけないんです」
この日は、田んぼの土を柔らかくする「荒くり」という仕事を見せてもらった。
昭和時代に使われていた砕土機を装着した福之助は、いざ田んぼに入ると勢いよく水飛沫を上げた。
短パン姿の岩田さんは難なく歩くが、僕は思うように動くことすらままならない。
福之助は、ぐるぐると田んぼを回り、畦道の近くにきたら野草を食べ、また耕してはまた食べる。
「ね、よく食べるでしょう」と笑った。
「この一面を起こすのに2時間かなぁ。トラクターだと1時間もかからない。
効率を考えたら機械を使った方がいいけど、僕は馬も自分たちも自然ももっと自給していけるよう、
工夫しながら暮らしが成り立つサイズでやるのが今やっていることです」
馬耕はトラクターのように土を練ってしまうこともないし、ガソリンをまったく使わない。
ここにあるもので、お米を作ることができる。この手間ひまをかけた土が良い米を作っている。
「米作りは基本すべて手作業で、機械植えだと苗が10センチくらいで葉が3枚くらいで均一に育ったものになるけど、
僕は15センチくらいで5枚くらい葉をつけてから手で植えるんですね。自然に一本一本育った苗は根もしっかりしていて強いんです」
岩田さんはいつもおおらかな雰囲気の人だ。
自然や生き物に無理にあらがわず、寄り添い、やわらかく受け止める。
全く畑違いの人生を歩んできた。
大学で物理学を専攻し、30代前半までカメラのセンサーとなる半導体をつくる会社に勤務していた。
「もともと環境問題に興味があって。でも、現実には物を作って、壊れたらまた作る仕事をしていました。きっかけは、震災でした。
停電は続き、買い占められてスーパーから物がなくなり、省エネが叫ばれても電気が煌々と街を照らす。
子どもたちが生きていく上でこの暮らし方でいいのだろうかと思いました」
抱いた違和感は少しずつ岩田さんの中で大きくなっていき、
変わりのない日々にぼんやりと違う景色が浮かんだ。
人生の転機に悩まないことはない。妻子ある30代の自分。
それまでの安定した収入を捨てることにとまどいもあったが、絵里子さんの明るさに背中を押された。
「相談したら『そうしたらいいじゃん!人間らしくなった方がいいよ、前はロボットみたいな生活だったから』って言われて(笑)」
退職後は、岐阜県や山梨県で自然と共存するパーマカルチャーに触れた。
デスクワーク漬けで落ちていた体力で必死についていきながら、正反対の生き方を楽しんだ。そんな時に、馬耕と出会った。
体力もさることながら、もっと大変だったのは頭や心を変える方だったという。
「藤田さんは文系ですか、理系ですか? 僕は、すごく感性が弱い人間でした。
馬と付き合って、思っていたことと全然違うことが起きるし、最初は全然だめでしたから。
馬は僕がやったことに対して反応を返してくるんですね。それをみて僕が反応を返す。
そのキャッチボールができるかどうかは、感性の部分なんですよね」
自分になかったものを補おうと相当意識したのだろう。取材中でも、こちらが話すときにじっと見つめる目が印象的だったのも、
馬に限らず相手の反応を拾おうとする作業なのかもしれないと思った。
「後ろから馬を見ていると、ふっと目や顔を草の方に向けたりする。それは一瞬のこと。その微細な動きを逃さず、1、2cmくらい小指を動かす。
そのタイミングも強弱もあるんですけど、それで『そっちじゃないよ』と意志を伝えます。見逃して動きだしたらもう止まりません」
感性で馬とのコミュニケーションを取る一方で、馬を飼い慣らすという点では感性ではなく、ロジックが大切だという。
「馬が仕事を覚えていくのにも、人に触られることに慣れたり、馬具に慣れたり、真っ直ぐ歩いたり…。
できるようにならないといけないことは段階的にあって、
なんでこのやりとりをするのかを自分が論理的にわかっていないと、馬によく伝わらないんですね」
感じることと、考えること。そのどちらも必要なものだ。
雪道を歩くこと30〜40分、ようやくプレーパークと呼んでいる森に到着。
火を起こしてくれる間、岩田さんの家族が来るのを待った。
ここは、もともと昭和時代に林業の苗を育てる場所だった森を、岩田さんが活用している。
ススキやカヤが生えた荒れ地だったところに、馬を放牧して草を食べたり、押し倒したり、木を切り倒して開拓してきた。
麦や豆を植えて収穫する場所でもあるし、その近くに子どもたちが遊べる場所を作った。
「どういう手段でやったら子どもたちが森に来るのが楽しみになって、好きになってくれるだろうと考えたんですね。
それで自由に遊べ、挑戦できる環境を準備しようと思って作ったのが、このプレーパークです」
子どもたちは、自分たちで木を切って高さ数メートルもある展望台や小屋を作ったり、雪が降ればそりなどの雪遊びをしたり、
焚き火をして色々焼いて食べてみたり、泊まってみたり。何をしなければいけないという義務はなく、好奇心のままに、気分のままに森で過ごす。
「森に来て、森での動きに慣れてきて、森を好きになってもらう。
森から恵みをもらっていることや身近に働く姿を見て楽しいと思ってくれたら。
そういう体験をできる場所を作って、未来につなげていきたいんです」
「馬耕で作ったお米も量が取れないのもありますが、割と高い値段で出しています。
まだまだ少しずつですが、自分たちがやっていることや作っている食べ物のことを知ってもらって、
そこに興味を持ってもらって、価値を感じてもらえるようにしていきたいですね」
智頭に来てから4年が経つ。
暮らしも仕事も簡単なことはない。
けれど、馬も、森も、触れ合う中で実感している。
自分が考えてきたことやぼんやりと見ている未来のこと。
どこか遠くにあるものを想像するのではなく、手の中にある温もりをそっと感じるように。
昨春には5番目となる次女の芽依野ちゃんも生まれ、家族はますますにぎやかになった。
全員が集まったところで、今日はそり遊びをすることになった。
真っ白な森を眺める岩田さんの顔は、とても楽しそうだった。
text & photo:藤田 和俊